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四條流の歴史

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1200年の歴史、藤原氏北家魚名流

四條流に関しては、1200年の歴史があり元公爵の四條家は、藤原氏北家魚名流に属します。即ち大織冠鎌足の孫の房前を祖とします。中世には羽林家の家格の高い堂上公卿の家柄です。羽林家とは、大納言までの昇進が可能で、しかも近衛中、少将の兼任が出来る家格を有する家のことです。四條家は永きに亘って栄えたため、それより分流したものとしては、中御家、六條、九條、紙屋河、大宮、園池、油小路、八條、鷲尾、山科、西大路、櫛笥等の諸家がでています。又、日蓮上人も四條家の後裔であり伊達正宗とは先祖が同じ魚名であります。

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現在、第四十代当主隆貞卿は、昭和二十九年、初めて天皇陛下に相撲をお見せになり、今日の展覧相撲のきっかけをつくった人です。
また、政治経済界の相談役として活躍し、故佐藤首相とは大変懇意でした。奥様の淑子夫人は、香道、御家流の宗家三條西公生氏の長女で、皇太后様の姪にあたります。
四條司家は、日本料理の祖神と崇められている四條流の祖、四條中納言藤原朝臣山蔭卿から始まります。平安初期、第五十八代光孝天皇は料理に造詣深くあらせられ、自ら庖丁をとられて数々の宮中行事を再興されました。四條家に深い御縁のある天皇であられるので若き頃から料理を作ったり味わったりなさるお相手に同じ趣味をもつ山陰卿をお選びになりました。
山陰卿は、天皇のお考えに従い、且つ自己の工夫も加えて、そこに平安料理道の基礎路線を確立しました。それが四條流庖丁、料理道の根源です。しかし山陰卿は宮中の料理法を教えましたが、一般臣下に利用できる料理の普及と指導に重点を置いたのです。
そして、その頂点に庖丁儀式があります。室町時代になると、四條流から四條園流、四條家園部流、武家料理を専門とする大草流、生間流、進士流等の流派が出ましたが、これらはすべて山陰卿の流れを汲むものであり、四條家からは多くの庖丁名人がでました。
そして、天皇家の料理から臣下の料理までを司る家として、司家の名称を頂きました。

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